姜维,伯約,206年?264年。魏の天水太守?馬遵の配下。第1次北伐で蜀軍を迎撃し、一度は諸葛亮を破るが諸葛亮の策にはまって蜀軍に投降。以後は蜀将として諸葛亮の北伐に参加し、諸葛亮臨終の際に兵法を伝授された。諸葛亮の死後、大将軍となって北伐を指揮。鍾会と鄧艾が蜀に攻め寄せた際、剣閣に籠もって抵抗するが、先に降った劉禅の命で降伏。蜀再興を志して鍾会と挙兵するが、敗死した。
姜维,字伯约,天水冀(今甘肃甘谷东南)人。三国时期蜀汉著名将领、军事统帅。原为曹魏天水郡的中郎将,后降蜀汉,官至凉州刺史、大将军(拥有最高军事指挥权)。姜维在诸葛亮去世后继承诸葛亮的遗志,继续率领蜀汉军队北伐曹魏,与曹魏名将陈泰、郭淮、邓艾等多次交手。然而由于蜀汉国力弱小等原因、终究回天乏术。蜀汉灭亡后,姜维希望凭自己的力量复兴蜀汉,假意投降魏将钟会,打算利用钟会反叛曹魏以实现恢复汉室的愿望,但最终钟会反叛失败,姜维也被魏兵所杀。