龐德,字令明,?年?219年。馬騰が曹操に暗殺されると、馬超に従い復讐戦を挑む。馬超と韓遂が仲違いして敗北すると、馬超、馬岱と共に漢中の張魯を頼る。馬超らが劉備に降った後も張魯の下に残り、漢中へ攻め寄せた曹操軍と抗戦。勇猛を称えられ、戦後、曹操に重用された。樊城[ハンジョウ]が関羽に包囲されると、于禁と共に救援に向かう。于禁が降伏しても戦い続けるが、周倉に捕らえられ、関羽に斬られた。
庞德(?-219),字令明,东汉末年雍州南安郡狟道县(今甘肃天水市武山县四门镇)人。曹操部下重要将领,官至立义将军、关门亭侯。青年时代为郡府吏员,接着升为州衙从事。约在初平年间(190一一193) 庞德投奔马腾帐下。因屡立战功,被提升为校尉。建安年间 (196——220),马腾率凉州兵团进入关中,庞德跟随腾子马超征战平阳,在马上亲斩郭援首级,又被提升为中郎将,封都亭侯。后随马超投靠张鲁。曹操经略汉中时,张鲁主动投诚,庞德与众将归降。曹操见其挠勇异常,授官立义将军,封关内亭侯。建安二十四年(218),他协助曹仁力挫关羽。最后在一次战役中被关羽所杀。有一子庞会。