馬良
ばりょう
字:
季常
きじょう
187年?225年
蜀の幕僚。眉が白く、「白眉」と称される。劉備が南荊州を攻略した後、伊籍の推薦で劉備に仕える。諸葛亮が蜀に移ると、荊州を守る関羽の補佐を命じられる。関羽の襄陽進攻に従軍し、負傷した関羽が華佗の治療を受けた時は、碁の相手を務めた。荊州が呉の呂蒙に奪われると、伊籍と共に援軍を求めに成都に向かうが、その間に関羽は敗死する。夷陵の戦いでは劉備に従い、敗北。諸葛亮の南征の最中に死亡した。
马良(187-222),字季常,襄阳宜城(今湖北宜城南)人。三国时期蜀汉官员,马谡的哥哥。马良兄弟五人都有才名,而马良又在五人中最为出色,因此有“马氏五常,白眉(马良)最良”的赞誉。
马良兄弟五人,俱有才名。马良眉中有白毛,历官从事、左将军掾、侍中。他与诸葛亮的关系很好,这可以从两件事上看出:诸葛亮随刘备入蜀,马良给诸葛亮写信说,雒城(今四川广汉县)已攻下,吾兄应大展宏图,乘胜前进。据此,人们推测,他与诸葛亮或结为兄弟,或者有亲戚关系。诸葛亮年长,故他称亮为兄,(马良于诸葛亮的关系说引于《三国志——裴松之注》)。
马良奉命出使东吴,他请诸葛亮给孙权写引荐信,诸葛亮要他自己起草,亮签名。最后两句是希望孙权“降心存纳,以慰将命”。孙权见信后,敬待了他。章武元年(公元221年),刘备派他到武陵(今湖南省西南一带)联结“蛮夷”助蜀伐吴,功成,深受刘备器重。后在夷陵之战中,刘备兵败,马良亦遇害。
马良兄弟五人少时并有才名,乡里有谚语道:“马氏五常,白眉最良。”