曹植
そうしょく
字:
子建
しけん
192年?232年
曹操の四男。母は卞氏。建安文学を代表する詩人。臨淄侯[リンシコウ]。陳王。曹操から才能を愛され、兄の曹丕と後継の座を争った。楊脩の助言を得て曹操が好むように振る舞うが、楊脩の入れ知恵だと発覚すると曹操から疎まれ、後継の座を逸した。曹操の死後、葬儀に出席せず、曹丕に殺されそうになるが、卞氏の取りなしで「七歩の詩」を即興し、死を免れる。以後は国替えが相次ぎ、不遇だった。
曹植(192-232),字子建,沛国谯(今安徽省亳州市)人。三国曹魏著名文学家,建安文学代表人物。魏武帝曹操之子,魏文帝曹丕之弟,生前曾为陈王,去世后谥号“思”,因此又称陈思王。后人因他文学上的造诣而将他与曹操、曹丕合称为“三曹”,南朝宋文学家谢灵运更有“天下才有一石,曹子建独占八斗”的评价。