諸葛誕
しょかつたん
字:
公休
こうきゅう
?年?258年
前漢の名臣?諸葛豊の子孫。呉の諸葛瑾、蜀の諸葛亮の従弟だが魏に仕える。反乱を起こした毌丘倹を司馬師が討伐した際、従軍して活躍した。司馬昭が実権を握ると対立し、呉の孫綝の助力を受けて挙兵。緒戦で楽綝を討ち取る。しかし、司馬昭に寿春城を包囲され、迎撃策に異を唱えた文欽を斬ったことで孤立。寿春への突入を許し、胡奮に斬られた。直属の兵士数百人は全員、降伏せずに殉死した。
诸葛诞(?—258年),字公休,琅邪阳都(今山东临沂)人,诸葛丰之后,诸葛亮的堂弟,与夏侯玄、邓飏、田畴四人为四聪。初以尚书郎为荥阳令,累迁御史中丞尚书,魏明帝恶其浮华虚荣,免官、废锢。后明帝崩,为御史中丞尚书。后任扬州刺史,加昭武将军。王淩叛,诞为镇东、都督扬州诸军事,封山阳亭侯。讨之。诞军讨诸葛恪于东关,不利。毌丘俭、文钦反,遣使诱之。诞斩使,率军讨之。进封高平侯,转征东大将军。
甘露二年,徵司空。诞被诏书,愈恐,举兵反。攻扬州刺史乐綝,杀之。谴子为质降吴,结以外援。吴以诞为左都护、大司徒、骠骑将军、青州牧、寿春侯。司马昭分兵围讨,诞兵败被杀,并夷三族。诞麾下数百人,坐不降见斩。