関興
かんこう
字:
安国
あんこく
?年?234年
関羽の次男。関羽が曹操軍の襄陽を攻め于禁を破ると、成都の劉備に戦果を報告した。関羽が孫権軍に敗死し、劉備が復讐の兵を挙げると戦列に加わり、先陣争いをした張苞と義兄弟になる。呉の李異、周平を斬り、関羽を捕らえた潘璋を討って青龍偃月刀を奪い返すが、蜀軍は敗れる。後に諸葛亮の北伐に参加。西羌軍との戦いでは越吉を斬るなど活躍するが、第5次北伐の直前に病死した。
关兴,字安国,河东解(今山西运城)人。三国时期蜀臣,是汉末三国时期名将关羽之子,继承了父亲汉寿亭侯的爵位。他年少时即受诸葛亮器重,在蜀汉担任侍中、中监军之职,但数年后便英年早逝。
关兴杀入吴阵,正遇仇人潘璋,骤马追之,璋大惊,奔入山谷内,不知所往。
兴寻思只在山里,往来寻觅不见,看看天晚,迷踪失路。幸得星月有光,追至山僻之间,时已二更,到一庄上,下马叩门。一老者出问何人,兴曰:“吾是战将,迷路到此,求一饭充饥。”老人引入,兴见堂内点着明烛,中堂绘画关公神像。兴大哭而拜。老人问曰:“将军何故哭拜?”兴曰:“此吾父也。”老人闻言,即便下拜。兴曰:“何故供养吾父?”老人答曰:“此间皆是尊神地方。在生之日,家家侍奉,何况今日为神乎?老夫只望蜀兵早早报仇。今将军到此,百姓有福矣!”遂置酒食侍之,卸鞍喂马。